現品限りの中古品です。
萩茶碗 坂 高麗左衛門 三玄院 藤井誡堂書付 「好日」
十一代坂高麗左衛門(信夫、1912年 - 1981年、号:韓峯)
径12,2センチ 高さ 10センチ
坂窯は、毛利輝元によって萩に連れてこられ、兄李勺光と共に萩焼を創始した朝鮮人陶工の李敬を初代としており、
三輪休雪の三輪窯と共に萩藩の御用窯を務め、萩焼の本流を代々受け継いでいた家柄であった。
毛利氏が萩に城を移した後、萩城下松本村に開窯、二代藩主毛利綱広より“高麗左衛門”の名を賜る。
以来、初代より坂高麗左衛門と名乗り、2004年当時の坂窯当主、十二代高麗左衛門まで窯が継承された。
しかし、十二代の坂高麗左衛門が2004年7月26日に転落事故による脳挫傷のため突然死去し、
以後約7年坂高麗左衛門の名跡は空位だったが、2011年4月に十一代の四女(十二代の義妹)が十三代高麗左衛門を
襲名することになった。女性が坂高麗左衛門の名跡を継承するのは史上初めてのことである。
しかし、2014年11月18日に肺炎のため死去し2022年6月23日、13世の長男・坂悠太が14世襲名。
藤井 誡堂
1898年(明治31)~1984年(昭和59))
大徳寺515世管長、大徳芳春院二十二世、大徳寺塔頭三玄院住職